ジャーナリングって、本当にやって意味のあることなのでしょうか?
ジャーナリングを習慣にする価値はあるのでしょうか?
ジャーナリングとは、「思ったことを紙に書き出す」シンプルなものです。
ジャーナリングをやったとてお金になるわけでも、評価を得られるわけでもありません。
今回はちょっと批判的な視点からジャーナリングを考察してみて、それでもジャーナリングには魅力があると言えるのか、考えてみます。
ジャーナリングをやろうかどうか迷っている人は、ぜひ読んでみてください。
ジャーナリングって、びっくりするくらい地味
僕は3年で200時間以上を、ジャーナリングを書くことに費やしてきました。
(1冊平均80ページ×7冊分×1ページ平均30分)
3年で40万文字以上の文章を、ジャーナリングとして書き続けてきました。
(1冊平均80ページ×7冊分×1ページ平均700文字)
ざっと計算してみて、ちょっと恐ろしくなりました。
この労力を、たとえばそのまま英語の勉強に費やしていたら、今よりも格段に英語を喋れていたと思います。
または音楽に費やしていたら、楽器が一つ弾けるようになっていたでしょう。
一般的な感覚で捉えてみると、ジャーナリングってびっくりするくらい地味です。
「思ったことを書くだけで、何が楽しいの?暇なの?もっと楽しいこととか役に立つことに時間使ったらいいじゃん。」
…という声が聞こえてきそうです。
日記に客観的な数字も、評価もない
資格の勉強であれば、〜検定〇級を取ることがモチベーションになるでしょう。
筋トレが趣味であれば、バーベルを○kg持ち上げた、という数字が自分を図る指標になります。
ジャーナリングにはそのような数字も評価もありません。
ジャーナリング検定など無いし、ジャーナリングを○冊書いたといってもその中身は人それぞれで、客観的な数字ではありません。
明確な数字や評価を追い求めることが好きな人は、ジャーナリングを継続することの理解に苦しむと思います。
趣味や自己啓発の分かりやすさ(意義の理解しやすさ)で言えば、
ジャーナリングは分かりにくいものなんです。
誰にも褒められない。そもそも誰かと一緒に楽しむものでもない
歌が趣味なら、人前で歌えば褒められたり、コメントをもらえたりすると思います。
漫画やアニメが趣味なら、あのキャラが好きとか、あのシーンが面白いと盛り上がることもできるでしょう。
ジャーナリングには、その良さも特にありません。
「ジャーナリングやってるんだ」と話しても、「へぇ〜」で終わりそうです。
さらに悲しいことに、ジャーナリングは誰かと一緒に楽しむものではないです。
旅行やスポーツ観戦、飲み会のように、友達と同じ空間を共有して楽しむことができないのです。
ただ、ひたすらに孤独。
直接的には役に立たないように見える
ジャーナリングをやったからといって、
急激に仕事ができるようになるとか、新しいスキルが身につくとか、ビジネスになるとか、
そんなこともありません。
もちろんジャーナリングの良さは沢山あるのですが、
数日、数ヶ月続けただけでその効果を最大限享受できるわけでもありません。
何より、何かの役に立たせるための手段としてジャーナリングを書くのなら、きっと地味でつまらなすぎて続かないと思います。

自分にとっての幸せを言葉にしていく
あえて批判的にジャーナリングを考察してみました。
皆さんはここまで読んで、ジャーナリングに対してどのようなイメージを持ったでしょうか…?
ジャーナリングの特徴として、上記に述べたことは概ね的を外していないと思います。
しかし、いや、だからこそ、ジャーナリングには他に変え難い価値があると信じています。
ジャーナリングは、人とつながらない一人の空間で、
「自分にとっての幸せは何か」
を主観的に考えて追求していくものなのです。

客観的な数字や評価を取ること自体が人の価値であり、
幸せの指標なのでしょうか?
その数字や評価を得ることで、
いったい自分の何が満たされて、
周りに対しどんな影響を与えられるのでしょうか。
客観的な目標は価値観を満たすための通過地点です。
目標を達成するまでのプロセス、目標を達成した先にある価値を主観的に考え、感じることで充実感を得られるのではないでしょうか。

自分自身の純粋な幸せより、人の目や見栄えを気にしていないですか?
こんなことをやったらおかしなやつだと思われるのではないか。
充実してなくて浅い人だと思われるのではないか。
…どうしても人の目が気になってしまうのはしょうがないと思います。
ならば、見栄えばかりが気になって自分の本心さえわからなくなってしまうより、
ノートにだけは純粋な本心を書いて、
主観的な気持ちをしっかりと自覚していった方が、
人の目がある中でもより納得のいく行動が取れるのではないでしょうか。

役に立つかどうかの打算的思考ばかりが先行し、心が置いてけぼりになっていないですか?
人生は合理的に、効率的に生きるのが目的なんでしょうか。
将来の役に立つための我慢を、いつまで続けるのでしょうか。
将来を見据えた計画を立てて粛々と精進することも時には必要だと思いますが、
今この時の感情を体全体で感じて、
ポジティブもネガティブも自分の大事な本心であると受け入れることを、
心の奥底では願っているのではないでしょうか。
ジャーナリングは、本心に帰る場所
ジャーナリングは、自分だけの空間です。
ジャーナリングのノートにはなんだって書けるし、
書き溜めた言葉が自分を本心の指し示す方向へ導いてくれます。
複雑な人間関係、情報に溢れたSNSに囲まれて、自分を見失いそうになっていないでしょうか。
自分を見失わないようにジャーナリングに帰ってきて、本心を確かめる。
そしてまた、社会との関わりの中で生きていく。
自分の本心しか知らない「良い人生」を探りながら、日々を過ごしていきましょう。
ジャーナリングで、徹底的に主観と向き合おうではないか。
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