「言語化で何もかもうまくいく」わけじゃない
「〇〇が9割」
「〇〇する人がすべてうまくいく」
「〇〇を知らなかったら詰む」
本やSNSでこのような文句を
よく聞きますが、最近はあまり
真に受けないようにしています。
本質や勝ちパターンは
その人にとってのものであり、
あらゆる個性や環境を超越した
正解はないと思っています。
正解探しばかりに囚われてしまうと
辛くなってしまうので、
「完璧な正解はなく、
本心が進みたい方向に
進んでいこう」
というスタンスで僕はやってます。

僕はジャーナリングの魅力や
言語化の大事さを、ほぼ毎日
発信していました。
当初はブログを書くことが
楽しかったのですが、
最近は
「特に書きたいことないなー、
面倒くさいなー」
とか思ってました(笑)
きっと日記や言語化の話に
話題を限定して視野が狭くなっていた
と思うので、
今回は毛色を変えて
言語化が絶対善ではない話を
書いていこうと思います。
言語化って時に頭を悩ませるもので、
堅苦しくなる時がありますが、
このブログを読んで
肩の力を抜いてもらえたら
嬉しいなって思います!
思考は言語以上の世界が広がっている
言語化することのメリットは
たくさんありますが、
「言語化できていなければダメだ」
という強迫観念を持つ必要はない
と思っています。
そもそも思考は
無意識含め言語化できるものを
はるかに超えた働きをしています。
それをすべて言語化するのは
到底無理です。

言語は人とコミュニケーションを
取るためのツールの一つにすぎず、
非言語的な情報も膨大に広がっています。
旅行の手記を読んで旅行の感動を
完全に追体験できるわけではないし、
言語情報でも
ミスコミュニケーションは多発します。
言語がコミュニケーションツールとして
不完全だからこそ、表情や仕草などの
非言語情報、絵画や音楽もあり、
人と感情を分かち合うための
重要なピースとなっています。
「言語化力、文章力がすべてだ」
のような強迫観念を持たず、
時には言語化する楽しみを味わい、
時には言語化できないものを
味わっていきましょう。

モヤモヤがあるのは自然なこと
頭の中にあるモヤモヤを
紙に書き出して言語化すると
スッキリします。
でも完全にスッキリすることは
ないと思っています。
思考は絶えずぐるぐる
回るものですし、
それこそ思考をすべて
言語化するのは無理があります。
「モヤモヤしているから
まだ行動に踏み出してはいけない」
こう考えてしまうと途端に
窮屈になってしまいます。

迷いや不安はあって当然で、
完璧なものは滅多にありません。
何かを判断するとき、行動するとき、
不完全であることを許容しながら
進んでいきたいですね。
言葉にならない感情を味わった経験
少しだけ僕個人の体験談を
お話しします。
大学卒業間近の時、
サークルの後輩とサウナに行きました。
サウナの後、夜23時くらいに
誰も人がいない公園に行って、
芝生に仰向けになって話をしていました。
北斗七星が綺麗に見えて、
プラネタリウムみたいに
空が丸く見えました。

寝転がって空をぼんやりと眺めながら、
サークルの思い出や心残りだったことを
つらつらと話していました。
言葉ではとても言い表せないような
不思議な気持ちになりました。
同時に、
「あぁ、もうこの感情、
二度と味わうことはできないんだなぁ」
と直感しました。
この日の日記には、あの時の気持ちを
言葉で描写することはできませんでした。
でも今になってもあの日の出来事を
鮮明に思い出せるくらい、
大事な思い出になっています。
言葉にできず、その時一瞬でなければ
味わえない感情があることを知り、
毎日ちょっとずつ違う感情を
味わおうとすることができました。

言葉というツールの限界を超えた
感情を味わえることは、
とても素敵なことだと思います。
記憶の全てを日記に書くというよりは、
心に残った思い出を胸にしまって、
今を生きるパワーにしていきましょう。
より心地よく、楽しい方向へ
「言語化しなければいけない」
と考えると苦しくなる時もあります。
もちろん仕事などで言語化が
必須なシーンもあるかと思いますが、
言語化に苦しんだときは一旦
言語化から離れてみるのも良さそうです。
〜べき、〜しなければならない、
に染まってしまうのではなく、
より心地よく、本心が指し示す
楽しい方向へと進んでいきましょう。
たかひろ | ジャーナリングガイド
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